2010年12月02日

神戸ルミナリエ。

総員上陸最終日となる12月2日はちょうど神戸ルミナリエの点灯式でした。
本船の泊まっている神戸3突から会場まで歩いてわずか10分。

関西ではすでにルミナリエは恒例の冬のイベント。私(副部長)も過去に何度か足を運んでいます。
今ではカップルの定番のデートコースみたいな感じですが、本当は1995年に起きた阪神大震災の犠牲者の方々の鎮魂のために始まったイベントなのです。

神戸ルミナリエ。

私は阪神大震災の時はまだ小学生。当時の家は震源地からは50kmほど離れていましたが、今までに寝ていて地震で目が覚めたのはあのときだけです。

当時の神戸の小学生は、学校でも避難訓練をちゃんとやっていなかったらしい。
「神戸は六甲山系が背後にあるから地盤が安定していて、地震の心配がない」と言われていたとか。

こういうエピソードを聞くと、我々もこれだけ安全で最新の設備の船に乗船して過信している面があるかも知れませんが、やはり日頃の訓練は大事なんだなと実感させられます。

神戸ルミナリエ。

地震で完全に寸断された陸上交通網を支えたのは海運でした。
軌道が破壊され運行不能になった鉄道の代わりに、神戸港や大阪港の港内遊覧船が神戸~大阪間を人を運ぶために運航されましたし、先日取り上げた甲子園フェリーなど短距離フェリーは増便して四国や淡路から食料などの物資をフル輸送。
極めつけは大型客船を被災地の岸壁に接岸し、家を失った人のための泊まる場所や浴場などとして提供しました。

復興の段階ではそのような海運の役割が見直され、各地に新たな多目的岸壁が作られたりしたのですが、地震から16年経ってそれが形骸化しつつあるのが残念です。


閑話休題。


ルミナリエも段々と震災の記憶が薄れてゆくにつれ、変化してゆく開催意義と資金的な問題で毎年のように「今年が最後かも」と噂されていますが、今年もまた見れたこと、しかもそれが乗船実習中の寄港地としてだったことが嬉しかったです。
神戸の街はほぼ完全に復興を果たし、いまや震災の痕跡を探すのが難しいぐらいになっていますが、神戸ルミナリエと人々の災害に対する意識が形骸化してしまわないことを願うばかりです。

銀河丸は明日、いよいよ旅の終着地点の東京へと向かいます。


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Posted by おりどポートラジオ at 23:41│Comments(1)ちょっとした小ネタ
この記事へのコメント
昨夜は雨が振りだしてきましたが、ルミナリエ会場に行きました。
いかがでしたか?

95年、うちは長田区南部の鷹取商店街のそばで暮していました。 ちょうど大火災が集中した地域です。 うちも全壊して、近所の小学校の体育館で避難所暮らしを経験しました。
あの日から今まで神戸の街と共に、復旧 そして復興の過程を歩んでこれたのは、一生ものの宝物だと思います。
Posted by 青山 at 2010年12月03日 08:27
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    コメント(1)